「真美子さんがいなければ、今の翔平はない」父・徹さんが地区優勝を果たした息子である大谷翔平選手に贈った言葉!
「真美子さんがいなければ、今の翔平はない」父・徹さんが地区優勝を果たした息子である大谷翔平選手に贈った言葉を紹介します
父・徹さんが大谷翔平選手に贈った言葉の中には、「開幕前には詐欺事件もあって、いろいろと心配したけれど、結婚して、いつでも話せる人がそばで支えてくれていたので、安心していた。真美子さんがいなければ、今の翔平はないだろう。」と伝えています。
開幕当初から、困難な状況があったにもかかわらず乗り越えられたのは、妻・真美子さんとデコピンの存在も大きかったのだと思います。
今では、街を歩いていても大谷選手の数多くの広告、朝の情報番組、午後のワイドナショー、ニュースなど、テレビを見ていても、「大谷翔平」を見ない日はないような気がします。
そんな大谷翔平の活躍の序章は、私が知ったのは高校時代に遡ります。
そして甲子園を目指し、初めて甲子園の土を踏んだのは花巻東2年時の夏、東日本大震災に直面した2011年の第93回大会でした。
左股関節骨端線損傷があったにもかかわらず、マウンドに上がった大谷でしたが、8対7で帝京高校に敗戦。
その約7カ月後の2012年3月、大谷は再び甲子園のマウンドに立ちます。
第84回センバツ大会に出場した花巻東は、藤浪晋太郎を擁する大阪桐蔭との初戦を迎えます。
2回裏、エースで4番の大谷が藤浪の変化球を右翼スタンドへ運んで1点先制。4回にも追加点をあげ、5回終了時点で花巻東が2点リード。
5回表まで無失点だったがこの時点で85球、6回に大阪桐蔭の反撃が始まり、6回に3点、7回に2点を奪われる。
9回になっても大阪桐蔭の猛攻は続き大谷はマウンドを降りた。試合は9対2で大阪桐蔭の勝利。大谷のセンバツは終わった。
3年夏は甲子園には行けず、全国の舞台で一度も勝つことができないままに、高校野球生活を終えました。
甲子園への挑戦が終わり、花巻東での3年間で教えられたと思っていることをこう語っています。
「正しい方向を選ぼうとするようになりました。選ぶのと選ぼうとするのとでは違うと思いますけど、僕は選ぼうとします。教えられたことというなら、そこですかね。
今、毎日毎日、野球ばっかりやっていて楽しいんですけど、でも、ときにはやらなきゃいけないこともあるし……本当は練習したくないんです。そりゃ、それで打てるならそうですよ。毎日、(携帯)ゲームだけして、試合に行ったら打てるというなら、それでいいじゃないですか。それがおもしろいかもしれないし、それじゃ、おもしろくないかもしれない。そんなふうになったことないのでわからないし、僕はやらないと打てないので、練習、やりますけどね(笑)」
引用:Number Webより
「楽しい」より「正しい」を選ぶ大谷選手!
高校時代から、しっかりとした道筋を自分で見つけてそこに向かって行く
一歩ず前へ進むという考えは、もうこの時点で出来ているような気がします
さて、
早い時期から、ロサンゼルス・ドジャースをはじめとするメジャーリーグ各球団は大谷翔平の獲得を目指し、視察や面談などを行っていました。
また、大谷翔平自身も、高校卒業からの二刀流メジャーリーガーになることを目指していました。
この段階で意中の球団は決まっていたのではないのかと思います。
日本ハムファイターズをはじめ、セ・パ両リーグのほとんどの球団が大谷翔平の獲得に動いていましたが、大谷のメジャーリーグへの意思が固かったため、ほとんどの球団が撤退しました。
そんな中でも、諦めなかったのが日本ハムファイターズの栗山英樹監督でした。
栗山監督が二刀流を後押しすると説得するが、大谷翔平のメジャーへの気持ちは変わらなかった。
しかし、日本ハムファイターズはドラフト会議で1位指名するという強行策に出たのでした。
凄かったですね
この時点では、メジャーに行くものだと思っていました
そこから、栗山監督によるメジャーリーガー大谷翔平になるための構想、二刀流、そして夢など、説得が始まり、栗山監督の気持ちが大谷翔平の気持ちを動かし始めたのです。
そうして、とうとう大谷翔平の説得に成功!メジャーには行かずに日本ハムファイターズに入団することを決断。
しかし、レジェンドや外野からは、色々な事をいわれましたね
「プロを舐めるな、ケガをするぞ」と逆風が吹き荒れる中、前代未聞の挑戦がここから始まったのです
今考えてみると、当時の栗山英樹の影響と存在が無ければ、そして直接メジャーに行っていれば、大谷選手の二刀流はなかったかもしれませんね。
これが運命というものでしょうか。
高校時代から夢見ていたメジャーリーグの舞台まではあと少し!
そして、日本ハムファイターズでのプロ野球人生が始まりました。
5年間を日本のプロ野球で戦った後、海を渡って念願のメジャーリーガーになった大谷選手。
ロサンゼルス・エンゼルスに入団し、メジャー生活を始まりました。
2018年、1年目から二刀流で活躍しますが、右肘の内側側副靱帯(じんたい)を損傷し、再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けました。
手術後、2020年からは投手も復帰した大谷選手でしたが、2023年再び右肘靭帯を損傷。
2度目の再建手術も成功し投手としての復帰は2025年。
そしてFA(フリーエージェント)となり、夢を叶えるためにロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
詐欺事件などで、つらい経験もしましたが、真美子さんとデコピンの支えで乗り越えることに。
そして、前人未到の50-50も達成し、打率310、本塁打54、打点130、盗塁59、OPS1.036という信じられないような成績を残し地区優勝!
地区優勝をして夢に向かってひとつ前進した大谷翔平選手がポストシーズンというヒリヒリするステージへと続く!
1. 父・徹さんが大谷翔平選手に贈った言葉
地区優勝決定後、次のステージに行く前に、父である徹さんが
大谷翔平選手に贈った言葉が素晴らしいですね
「翔平、地区優勝おめでとう!今季はメジャーでプレーするようになってから初めての優勝争い。テレビ画面越しにも、例年より集中力が高く、気持ちが入ったプレーをしているように見えていたよ。
今年の翔平は真美子さんと結婚という大きな節目を迎え、より落ち着いて野球ができている印象もある。昨年12月頃に初めて結婚すると聞いて、私たち家族が一番驚いた。
正直、独身だった昨季までは現地観戦に行っても、球場内で少し会って話して帰るという感じだった。結婚後の今季は自宅に招かれ、お茶を一緒に飲んだり、少しそういう時間ができたことが今までと変わったところで、父としてうれしかったよ。
結婚前よりプレーに集中できている印象もある。少し丸くなったなとか、とがってるところが少し取れたなというふうにも見えるかな。開幕前には詐欺事件もあって、いろいろと心配したけれど、結婚して、いつでも話せる人がそばで支えてくれていたので、安心していた。真美子さんがいなければ、今の翔平はないだろう。もちろん、愛犬のデコピンも大きな存在だった。
通用するのか、通用しないのか分からないけど、高校時代にメジャーリーグでプレーしたい思いが芽生えたところから始まった。日本のプロ野球の世界に入る時も伝えたように“好きなことを職業としてできることは素晴らしいこと”。全力で野球に打ち込めている姿は、父としてもうらやましく思っている。
8月初旬にドジャースタジアムで3試合、家族で見させてもらった。用意してもらった5階の部屋は立派で眺めが素晴らしかった。我々が着いた直後は打ってくれたけど、その後は調子を崩して打てなくて…。“疫病神が来た”って言われちゃうかなと心配したよ。
ドジャースタジアムの超満員の観客にも驚いた。歓声の大きさは今までにないものだった。ロサンゼルスの街はどこに行ってもドジャースファンの方々がいる。多くのファンの方々に翔平が受け入れられている様子を見て、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
今回の観戦は、長男の小学3年生の息子、長女の3歳の娘という2人の孫を連れて行けたことも家族全体にとって良かった。小3の孫はリトルリーグで野球を始めたが、最近はかなり成長している。以前は野球なんてそっちのけで遊んでいたけど、最近は野球にしっかり興味を持ち、叔父である翔平を見る目が変わってきたのかなと感じている。大谷という名字は岩手にそんなに多くない。今後は少し目立つかもしれず、心配だけど楽しみだ。
9月19日のマーリンズ戦で史上初の「50―50」を達成したが、開幕前はここまでは予想していなかった。「40―40」で十分凄いと思っていたら、あれよあれよと積み上げていった。ただ、翔平が会見で何度も語ってきたように、記録よりもチームが勝つためにプレーすることが大事。自分が活躍してもチームが勝てなければ面白くないという思いは、子供の頃から変わっていないように感じるよ。
10月からは今まで経験したことがないプレーオフでのプレーを見ることが、今から楽しみだ。そして、最後にはワールドシリーズに進出して世界一に輝くことを願っている。心の底から応援している。頑張れ、翔平!」
2. 大谷翔平選手の軌跡
年月 | 軌跡 |
---|---|
1994年7月5日 | 岩手県奥州市で生まれる |
2001年4月 | 奥州市立姉体小学校 入学 小学生時代は水沢リトルリーグに所属 |
2007年4月 | 奥州市立水沢南中学校 入学 中学生時代は一関リトルシニアに所属 |
2010年4月 | 花巻東高等学校 入学 |
2011年8月 | 第93回全国高校野球選手権(夏の甲子園)出場 |
2012年3月 | 第84回選抜高校野球大会(春の甲子園)出場 |
2012年10月25日 | プロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムが1位指名 |
2013年6月1日 | 投手でプロ初勝利 |
2015年7月 | 二刀流でのオールスター出場 |
2016年10月 | 北海道日本ハム 日本シリーズ優勝 侍ジャパン選出 |
2017年12月9日 | MLB ロサンゼルス・エンゼルス入団会見 |
2018年4月 | MLB 投手デビュー・初勝利 |
2018年11月 | ア・リーグ最優秀新人(新人王)に選出 |
2019年6月 | MLB 日本人初サイクル安打達成 |
2021年7月 | MLB 史上初のリアル二刀流でのオールスター出場 |
2021年11月 | ア・リーグMVP(最優秀選手賞)に選出 |
2022年8月 | MLB 104年ぶりの2桁勝利2桁ホームラン |
2023年8月 | MLB 史上初の2年連続2桁勝利2桁ホームラン達成 |
2023年10月 | 日本人初のMLB(ア・リーグ)本塁打王獲得 |
2023年11月 | ア・リーグで2度目のMVP(最優秀選手賞)満票選出 |
2023年12月14日 | MLB ロサンゼルス・ドジャース入団会見 |
2024年9月26日 | ドジャース地区優勝 |
2024年10月6日~12日 | ディビジョンシリーズ ドジャース 3-2 パドレス 第1戦 10月6日:ドジャース 7 - 5 パドレス 第2戦 10月7日:ドジャース 2 - 10 パドレス 第3戦 10月9日:パドレス 6 - 5 ドジャース 第4戦 10月10日:パドレス 0 - 8 ドジャース 第5戦 10月12日:ドジャース 2 - 0 パドレス |
2024年10月14日~21日 | ナショナル・リーグディビジョンシリーズ ドジャース 4-2 メッツ 第1戦 10月14日:ドジャース 9 - 0 メッツ 第2戦 10月15日:ドジャース 3 - 7 メッツ 第3戦 10月17日:メッツ 0 - 8 ドジャース 第4戦 10月18日:メッツ 2 - 10 ドジャース 第5戦 10月19日:メッツ 12 - 6 ドジャース 第6戦 10月21日:ドジャース 10 - 5 メッツ |
2024年10月26日~31日 | ワールドシリーズ ドジャース 4-1 ヤンキース 第1戦 10月26日:ドジャース 6 - 3 ヤンキース 第2戦 10月27日:ドジャース 4 - 2 ヤンキース 第3戦 10月29日:ヤンキース 2 - 4 ドジャース 第4戦 10月30日:ヤンキース 11 - 4 ドジャース 第5戦 10月31日:ヤンキース 6 - 7 ドジャース |
3. 年度別成績表
投手成績 | 打撃成績 | ||||||||||
年度 | チーム名 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 奪三振 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
2013 | 日本ハム | 13 | 3 | 0 | 4.23 | 46 | 77 | 0.238 | 3 | 20 | 4 |
2014 | 日本ハム | 24 | 11 | 4 | 2.61 | 179 | 87 | 0.274 | 10 | 31 | 1 |
2015 | 日本ハム | 22 | 15 | 5 | 2.24 | 196 | 70 | 0.202 | 5 | 17 | 1 |
2016 | 日本ハム | 21 | 10 | 4 | 1.86 | 174 | 104 | 0.322 | 22 | 67 | 7 |
2017 | 日本ハム | 5 | 3 | 2 | 3.20 | 29 | 65 | 0.332 | 8 | 31 | 0 |
2018 | エンゼルス | 10 | 4 | 2 | 3.31 | 63 | 104 | 0.285 | 22 | 61 | 10 |
2019 | エンゼルス | ー | ー | ー | ー | ー | 106 | 0.286 | 18 | 62 | 12 |
2020 | エンゼルス | 2 | 0 | 1 | 37.8 | 3 | 44 | 0.190 | 7 | 24 | 7 |
2021 | エンゼルス | 23 | 9 | 2 | 3.18 | 156 | 158 | 0.257 | 46 | 100 | 26 |
2022 | エンゼルス | 28 | 15 | 9 | 2.33 | 219 | 157 | 0.273 | 34 | 95 | 11 |
2023 | WBC | 3 | 2 | 0 | 1.86 | 11 | 7 | 0.435 | 1 | 8 | 1 |
2023 | エンゼルス | 23 | 10 | 5 | 3.14 | 167 | 135 | 0.304 | 44 | 95 | 20 |
2024 | ドジャース | ー | ー | ー | ー | ー | 159 | 0.310 | 54 | 130 | 59 |
4. まとめ
とっても良い親子関係ですね
高校時代からプロに進んだ時に伝えた気持など、
愛情もあるが、静かに見守る姿
そして、真美子さんへの感謝が込められた言葉。
活躍する息子への思い
そしてヒリヒリするポストシーズンへと続く!